我が家の呪文
うちの母の口癖は、「よそはよそ、うちはうち」。
小さいころ、「どこどこのだれだれちゃんは〇〇買ってもらったんだよ!!」などと言ったものなら、必ずそう言い返されました。
その言葉は呪文のように我が家に染み着いていました。
しかし、母の言うことには矛盾がありました。
テストの点が悪いと、「隣の〇〇ちゃんはいつも100点とってお母さんを喜ばせているのに」と愚痴るのです。
「お母さん、よそはよそ、うちはうちっていつも言ってるじゃん」と、いつもほっぺたを膨らませながら言い返していました。
何度そのやり取りをしたかわかりません。
子供心に悔しかったし、意味がわかりませんでした。
母は意地悪だ、と本気で怒ったこともあります。
今考えると、なんてひねくれた意地の悪い子供でしょう。
そういう問題じゃない!と、その頃の自分に怒鳴りつけたくなります。
だけど、当時の私は子供だったので、単純に疑問に思ったことは深く考えずに何でも口に出していたのです。
私も歳を取り、今では大人と言われる部類に属しています。
都合の悪い時は例の呪文を口に出し、逆の場合はドヤ顔で世間と比較する。
それが大人の世界なんだな、と今ではわかります。
母はここぞという時に世間と比較することで、子供のやる気を出させようとしていたのでしょう。
私は小さい頃足が速くて、地域で1番の称号を手に入れていたので、他の家庭では私がどこかの家庭でやり玉にあげられていたかもしれません。
私も将来子供が出来たら、そのように対応しようと思います。
父が柴犬を飼った理由
自己嫌悪に苦しんだことがありました。
誰かに嫌なことをされたり言われて悲しくなるよりも、自分がそれをしてしまった時の罪悪感の方が辛いもの。
それは私だけでしょうか?
皆さんはどうでしょうか?
でも、いつまでも悲しんでいるわけにもいかず、何とかそこから這い上がってこなければなりません。
その時、ある人は誰かに励まされたり、またある人は何かに勇気づけられたり。
ペットからパワーをもらうとおっしゃる方もいらっしゃいます。
そこに命を感じられるという事が、不思議な希望を与えてくれることもあるのです。
私の父がペットである柴犬を飼いだした時、もしかしたらそんな癒しがあったのではないかなと思うのです。
もともと人付き合いが得意ではない私の両親。
そんな時、愛犬の存在が小さくはなかったような気がするのです。
口癖は、「子供のしつけは失敗したけれど、犬の育て方は正しかった。」
それは事実のような気がしています。
実家の柴犬は、本当によくできた犬です。
しつけが良かったのか生まれ持った性格なのかわかりませんが、人の言葉をよく理解できる賢い犬です。
柴犬も人気がある犬なのですが、その理由も分かるような気がします。
見た目が可愛いだけでなく、なんて言うかとても頼もしいのです。
もし我が家で犬を飼うのなら、柴犬かトイプードルが良いと考えています。
身近な種類であるということも理由なのですが、見た目の可愛らしさも大きな理由です。
犬のいる生活は面白い。
ペットを可愛がっている家庭を見ると、しみじみそんなふうに思うのです。
とても幸せそうに見えます。