深海水族館のこと

とある漁港のそばにできた深海水族館。
気鋭の館長が、不可能を可能にした水族館。
そんな期待の水族館に、ついに私は行くことにした。
まだ行っていないが、行くということを決断したし、日にちも決めたのだ。

それが、一ヶ月前のこと。
それからは、ずっとその深海水族館に行くことを楽しみにして日々生きてきた。
目先の楽しみというのは、馬の前にぶらさげられたにんじんが如く、人をエネルギッシュに動かす原動力となるものである。

毎日指折りで行く予定の日までを数え、折に触れては水族館のホームページを確認する日々。
そんな中、とある重大ニュースが飛び込んできた。
生きた化石とも言われている、私の憧れの深海ザメが、なんとその水族館に搬入されたというのだ。

そのニュースを知ったときの私のテンションの上がりっぷりときたら、今年一番であった。
誰かに見せたかったくらいである。
それが、行くついこの前。
行く予定の2週間前のことである。

こんな奇遇な時期に、こんなミラクルが起こるなんて、私はスペシャルラッキーだ。
と一人大興奮していたのだが、不安がなかったわけではない。
深海魚好きならば誰もが知っている、深海と地上の環境の変化のこと。
深海魚には、夜中に浅瀬にやってくるものもいるので、一概に気圧の変化で即死というわけではなかろうが、この環境の変化というのは、そのまま生き物にとっての致命的な変化である。

私が行くまで、このサメは生きていてくれるのだろうか…。
そう心配になってからは、毎日水族館ブログをチェックした。

何日か経ってから、心配したとおりになってきた。
「時々浮いたり沈んだりしている。」
「今日のうちにも展示終了の可能性。」

このときのショックときたら、これもまた今年一番であった。
子供の頃に育てていた、金魚を思い出す。
浮いたり沈んだりしたあとは、もうほとんどもたなかった。
これは今日がやまだ。

翌日、もちろん予想通り、展示が終了した。
かわいそうなサメ。
どんな思いで旅立ったのだろう。

なまじぬか喜びをしてしまっただけに、今回は非常に不運な感じが強い。
別に行くと決めた当初と、何の代わりもないだけのことなのに。

私は今回の生涯で、この先生きた状態のあのサメをみることは多分ない。
その位の奇跡的なことだったのである。
それにしても、自分の身にはそうそうミラクルはおこらないものである。

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