ませた子供の思い出
私はませた子供だったと思う。
私に限らず、女の子と言うのは、同年代の男の子に比べるとずいぶんとませているというのが世の中の常識だ。
そして、その常識もまごうことなき事実。
だから、私はませた女の子らしく、非常にませた考え方をしていた。
小学生社会というものには、たとえそれを大人たちが擬似恋愛であるとみくびったとしても、そこにはれっきとした恋愛が存在する。
誰が誰を好きだとか、告白しただとか、その他もろもろ、そんなこと近代の小学生社会においては日常茶飯事なのである。
だから、私の過ごした小学生時代にもそんなことが多々あった。
けれども、私は、できれば今このときに、素敵なひとに出会わないように、と願っていた。
たとえ素敵な人に出会ったとしても、自分が小学生である以上、それ以上の発展は望めない。
今すぐ結婚できるわけでも、大人の付き合いができるわけでもなし、結局はままごとじみたことで終わってしまうのだ。
それに、小学生で仮に誰かと付き合ったとしても、それを大人になるまで維持するなんてことは絶対に自分には不可能である。
だったら、この先出会いと別れを繰り返すのが分かっているのだから、今生涯一番素敵な人に出会いませんように、と祈った。
最後の人が、人生で一番素敵なひとでありますように。
と、その考えをもったことが悪かったのかもしれない。
その後誰に出会っても、この人の次にも誰かいるのかもしれない、という考えが離れず、どうしても絶対にいつか分か別れる人なんだ、という半ば厭世的な感覚を持って人と付き合うようになってしまったのだ。
結局は、自分の心持次第である。
この人を最後の人にしたい、と思って愛せるかどうか、それに尽きるのだ。