子供の頃の川遊びの記憶
昔、家族でよく住んでいる県内の川に遊びにいった。
山の中の川で、でも適度に川幅もあって景観も良く、しかもバーベキューできるということで、レジャーシーズンには家族連れでにぎわった。
我が家では、子供はもっぱら川遊び、親達は飲み会、という実に自由な過ごし方をしていた。
当然子供は、川遊びの一環として、川にいる生き物を捕まえようとする。
たいていごくごく小さな川魚か、ザリガニ、タニシ程度しか浅い川にはいないから、小学校の郊外授業で行って捕まえるものと全く変わらないのだが、それでも十分に楽しかった。
なんだか違うようなものに見えた。
何故だったのか全く記憶がないが、なぜか当時私たち子供は、その川に魚用の水槽を持っていっていた。
その水槽をぼちゃんと川の中に沈めて小魚が多く集まっているところ辺りでそれを引き上げるのだ。
言うまでもなく、中に小魚たちが詰まっている、という法則だ。
それを大事に家まで持って帰り、水槽を整えて飼うことにした。
まるでシラスのようにごちゃごちゃと、全長1cmもないであろう、半透明の魚達が泳ぎまわっているのはなかなかに壮観だった。
ところが、2、3日するとその水槽に変化が現れた。
なにやら魚が減っているのだ。
うちには猫もいないし、誰も入ってくるはずもないから勝手に減るのはおかしい。
私たちは、まさか共食いしているのではないだろうね、といぶかしんだものだ。
けれどもどうやらその推理もあてが外れたらしかった。
さらに数日すると、魚は一匹もいなくなったからだ。
後でわかったことだが、かわいそうな魚達は、水槽に空気を送るボンベのようなものの中に吸い込まれてしまったらしい。
一匹もこの世に残してあげられなかった。
だから私の中での川遊びは、罪の意識に繋がっている。